「子どもは早めにね」と耳打ちした大叔母の思い。|60年前の不妊治療と、現代の医療技術に感じる希望

不妊治療コラム

私には、「子どもは早めにつくるんだよ」と事あるごとに伝えてきた大叔母がいました。
その方は、子どもが欲しくて通院もしていたものの叶わなかったそうです。
婚姻歴が長いのに子どもがいない私たち夫婦のことを我が事のように心配してくれていて、数年前に亡くなりました。

大叔母が不妊治療をしていたのは、今から60年ほど前の、1960年代半ばだと思います。
今でこそ最先端の技術がたくさんある不妊治療の分野。
大叔母が治療を受けていた頃はどのような治療だったのでしょうか。

60年前の不妊治療とは?エコーも体外受精もなかった時代

1960年代、不妊治療の選択肢は非常に限られていました。

  • 超音波診断(エコー)が未発達

    現在では当たり前のように使われている経膣エコーで卵胞の発育状況をリアルタイムに観察する技術はありません。
    排卵の予測は、基礎体温の記録やオリモノの状態、あるいは尿中ホルモン検査などに頼る「手探り」の状態でした。
  • 排卵誘発剤(クロミッド)の登場初期

    1960年代は、現在も使われている排卵誘発剤(クロミッド)が日本で認可・使用され始めた時期です。
    無排卵症の治療に光が差し始めた時期ではありましたが、投与量の微妙な調整や副作用(多胎妊娠や卵巣過剰刺激症候群)の管理技術は発展途上でした。
  • 卵管の治療

    卵管閉塞に対しては、通気検査(空気を送る検査)や通水検査、あるいは外科的な手術で卵管を拡げる試みがなされていました。
    しかし、卵管が完全に塞がっている場合、受精の場そのものが存在しないため、当時の医療では打つ手がありませんでした。

技術以上の壁…「不妊=女性の責任」という強い偏見

60年前の不妊医療において、技術以上に高い障壁となっていたのが社会的・文化的な偏見です。

当時の社会では「家を継ぐ」「子孫を残す」という意識が強く、「子どもができないのは女の責任」という根強い誤解や偏見が蔓延していました。
実際には不妊の原因の約半数は男性側にも存在しますが、当時は男性が精液検査を受けること自体がタブー視される時代でした。

そのため、不妊の原因が男性側にあっても、女性ひとりが「嫁としての申し訳なさ」や親族からの無理解なプレッシャーを背負い込み、病院に通い詰めるケースが珍しくありませんでした。

情報もない世界で、近しい親族だけにしか言えなかった悩み

インターネットやSNSはもちろん、書籍やメディアでも不妊治療に関する情報が公に語られることはほとんどありませんでした。

周囲に相談することもできず、同じ悩みを持つ当事者同士が繋がるコミュニティもありません。

私の大叔母の場合も、不妊の悩みは近しい親族だけで共有していたようでした。
そして私が結婚して数年経った頃から、「早めに病院へ行きなさいね」とこっそりと耳打ちしたものです。
それだけ大っぴらにはできない話題だったのでしょう。


大叔母が治療を受けていた頃は、基礎体温を付けつつ漢方を飲みながら、今でいうタイミング法を行っていたようです。
人工授精も体外受精もなく、男性不妊の認識もない状態では、なかなか授かることは難しかったでしょう。
大叔母はよく「いまは不妊治療の病院へ通えば子どもができるんでしょう?」とよく言っていました。
そんなに簡単な話ではないよと返していましたが、大叔母が受けていた治療を思えば、今の技術は魔法のように見えていたのかもしれません。

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